[vc_row padding_top=”10px” padding_bottom=”30px”][vc_column][vc_column_text]僕の主治医である。帯津医師が養生の基本と考えている格言――、
「生命在脚下 希望在心中」の話の続きです。[/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row padding_bottom=”0px”][vc_column][ultimate_carousel slides_on_desk=”1″ slides_on_tabs=”1″ slides_on_mob=”1″ arrow_style=”square-bg” arrow_bg_color=”#3083c9″ arrow_color=”#ffffff” dots=”off” adaptive_height=”on” item_space=”0″][vc_single_image image=”7260″ img_size=”full”][vc_single_image image=”7261″ img_size=”full”][/ultimate_carousel][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column][vc_column_text]
帯津医師は全国各地を講演で駆け回っていますが、
毎年、講演のテーマ変えて、メッセージの工夫することを楽しんでいます。
5年前、僕たちのスローヘルス研究会で、
初めて講演してもらったときの言葉が≪ときめき≫でした。
次の2007年は≪旅情≫、
2008年が≪予感と直感≫、2009年≪自力と他力≫・・・。
どうですか、ちょっと聞いてみたくなる面白い“言葉の処方箋”でしょう。
≪医は仁術≫と古臭い言葉は使いたくありませんが、
≪希望のメッセンジャー≫≪いのちの伝道師≫が持ち味なんだと思っています。
随筆家としてもプロ作家顔負けです。
健筆流麗です。本職の合間に寸暇を惜しむように原稿を書き、
毎月のように本を出しています。
5年前に海外取材にもご一緒したことがありますが、
あちらで先生を紹介する時は「Dr.Monthly Obitsu」(月刊帯津)と
冗談をめかして紹介したこともありました。
帯津さんは、患者に生きる希望をもたらす名言を
たくさん著書に表わしていますが、僕の好きな言葉を挙げれば、
次の二つの文章となります。
「真の養生とは、計りごとを捨てて、あるがままに生きることである」
「無理に明るく前向きを装っても希望は生まれない。
ただ、明るく前向きでは病気の
克服も人生の転換もそうそう掴めるものではない。
そうではなく、人間は哀しくて寂しいものだと思えば希望が湧いてきて病気も治る。不運、災難、病気を克服できる」
さすが大宇宙のエネルギー(気)を小宇宙のわが身にとり込んで
パワーを掴む気功の達人です。
じつに自然体で、≪死を思い、死を超える≫発想だと思いませんか?
ちなみに、もう一人、敬愛する漢方医・
袁世華さん(元・長春中医学院大学教授)が教えてくれた言葉に
≪久病良医≫(きゅうびょうりょうい)という中国の名言があります。
「患者こそ優秀な医師と思え」という意味ですが、この言葉も力となっています。
先人の金言に学ぶ、いや、したたかに真似ることが、
僕を生命力向上・希望達成の道に近づけてくれました。
知恵が言葉と出会って知恵を生み、≪縁≫が広がって≪運≫を呼ぶ・・・
すると、思いもよらぬ≪ときめき≫の発想が浮かぶものなのですね。
気に入ったら、あなたも書きとめておいて見て下さい。きっと、パワーになります。
さて、もう100冊は超える、帯津さんの著書のベストセラー本の一つに、
作家の五木寛之さんとの対談集「健康問答」があります。
五木さんには昔、編集長をやっていたときに、お世話になった≪縁≫がありますが、
いまや五木さんは健康養生・人生修行の達人です。
「人間の運命」「大河の一滴」「蓮如」といった名著を何冊も書いておられます。
対談集のページをめくる度に、
お二人の希望と自力更生(養生)の≪知恵≫と≪言葉≫が
飛び交い、共鳴し合うのですから、じつに痛快な本でした。
というわけで、独自の≪攻めの養生≫論に触れている、
帯津医師の「あとがき」の部分を少々紹介させていただきます。
この≪攻めの養生≫論が、帯津さん流の≪自己実現≫の
逆転発想のクリティカル・シンキング(問題解決の鍵)だと思うからです。
「これまでの養生は、身体が対象であった。だから身体を労って、
病を未然に防ぎ、天寿をまっとうするといった、
やや消極的で守りの養生であった。
しかも、死を持って終われりである。これからの養生はちがう。
日々、命の場のエネルギーを高めつづけ、死ぬ日を最高にもっていくのだ。
積極的で≪攻めの養生≫*である。
しかも、死をもって終われりではない。
晩年になるほど加速していき、猛烈なスピードで、
死後の世界に飛びこんでいくのだ。なんとも爽快な養生ではないか」
なんとも強いパワーを感じませんか?
さらに、五木寛之さんが語る、生老病死の悩みを突き抜けた
養生論の姿勢もこれまた凄いのです。
このあたりについて、帯津先生がエンパシー(共鳴)していますので、
もう少し「あとがき」を引用させて貰います。
「だから、五木寛之さんがいうように、
明日死ぬとわかっていてもするのが、養生なのである。
攻めの養生にとって、上昇する速度は常に一定ではない。と
きどき、命の場が小爆発を起こして一気に駆け上がる。
これがベルグソンの命の躍動であり、心のときめきなのだ」と。 どうですか?
帯津さんの「人間は哀しくて寂しいものだと思えば希望が湧いてくる」にしても、
五木さんの「明日死ぬとわかっていてもするのが養生だ」にしても、
心の奥にドスンと響く言葉だと思いませんか?
*「攻めの養生法」の実践には7つある。 | ||
1,勤運動(運動にいそしむ) | 2,練気功(気功を練習する) | 3,節飲食(食事を節する) |
4,暢情志(心をのびやかにする) | 5,慎起居(正しい日常生活) | 6,適環境(環境に適する) |
7,補薬物(薬で補う) |
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