《第66号》続・「希望」が知恵をもたらし、「知恵」が縁を広げ、「縁」が運を呼ぶ!

2009 関根進いのちの手帖

≪絶望に落ち入っても、これ以上、哀しい状態はない≫と謙虚に思い直し、自らの≪いのちの帰る場所≫をじっくりと見定めれば、

[ultimate_carousel slides_on_desk=”1″ slides_on_tabs=”1″ slides_on_mob=”1″ arrow_style=”square-bg” arrow_bg_color=”#3083c9″ arrow_color=”#ffffff” dots=”off” adaptive_height=”on” item_space=”0″]
[/ultimate_carousel]

死の恐怖を乗り越えるばかりか、

日々、希望に満ちた躍動するパワーを掴むことができる――

僕の主治医の帯津良一医師はこういっているわけです。

西洋モノマネの二元論思考から東洋伝来の一元論思考への見直しです。

この考え方には僕もエンパシー(共鳴)しています。

しかし、僕は帯津先生のように仁徳の厚い人間ではありません。

また、幼い頃、クリスチャンの家庭で育ったせいか、

いつかは「神の大きな懐に帰る」

「懐かしいいのちの故郷(ふるさと)に帰る」

と思っているところがありますから、

日々、なるべくしなやかに物事の調和を楽しみ、

≪一日一生≫の気分で過ごしたいと思っているわけです。

このあたりが僕のささやかな≪希望力≫の源泉です。

よく「小さな幸せに勝るものなし」といわれます。

これは若い人から見ると≪守りの希望力≫のように

見えるかもしれませんが、

実はこちらの方が本当は≪攻めの希望力≫なのかもしれません。

齢を重ねるとそうした気分に近づくものです。

このあたりの考え方が

複雑怪奇な時代に希望を掴み取る大事な心得でありましょう。

ともあれ、いま流行りの≪過剰分析≫で、

人生の結論を急いではなりません。

とくに孤独な環境の中で自らを過剰分析し、

将来を単純に決めつけてしまうことほど、

失望感、挫折感、閉塞感をもたらすものはありません。

僕の愛読誌である

月刊「むすび」誌(正食協会発行)の10月号に特集された、

「民話と与謝野晶子に学ぶ――

日本人の伝承力」という対談でも申し上げましたが、

これからは西洋モノマネ式で「知識や手法を学ぶ」のではなく、

逆に日本人らしい「知恵や習慣を真似る」ことが

大切になってきたと痛感しています。

ちなみに話は飛びますが、

≪9年連続・200本安打≫というトテつもない大記録を立てた

大リーグのイチロー選手のニュースは記憶に新しいものです。

その偉業の裏には

計り知れない努力・研鑽・分析があったのでしょうが、

イチローの言葉=言霊に≪希望力達成≫の

大きなヒケツが隠されている――

そう感じた人は多かったのではないでしょうか?

「打率を考えると打席に立ちたくなくなる。

しかし、安打を増やしたいと思えば打席に立ちたくなるものです」と、

インタビューでたんたんと答えていました。

まさに希望を叶える名言です。

希望力とは借り物の知識ではなく、じっくりと知恵を澪がいて、

したたかに掴み取るものだと教えてくれています。

くりかえしますが、いま流行りの≪過剰分析≫で、

人生の結論を急いではなりません。

先月、僕は50代からの生き方マガジン「いきいき」の

別冊「ふくふく」という雑誌から≪希望をもつと知恵が身につく。

知恵がつくと縁が開ける。

そうやって10年すごしてきました≫というタイトルで、

インタビュー取材を受けました。

その中でも喋ったことですが、

人生って、ときに絶望の底に蹴落とされるような

ひどい目に逢うことがあります。

しかし、希望を持つと知恵が湧きます。

他人の良い知恵にも気づきます。

それが思わぬ縁を広げ、

縁が運を開いて一転して人生がバラ色に変わることもあります。

ある日、突然、そこから「運と縁」の契機が、訪れたりしますね。

「あわてない、あきらめるなよ あせらない」――

これに勝る≪希望学の知恵≫はないと思います。

あなたはどう考えますか?

タイトルとURLをコピーしました